画像提供 Petra Diamond
南アフリカ共和国北東部・ハウテン州の州都プレトリアの北約35キロメートルに位置する世界有数のダイヤモンド鉱山。1902年 プレミア鉱山の名称で操業開始しました。2003年に操業100周年を記念して、現名称のカリナン鉱山となりました。
南アフリカ共和国のカリナン鉱山では、 1905年 世界最大のダイヤモンド原石「カリナン」(3106ct)が採掘され、9個の大粒ダイヤモンドと96個の小粒ダイヤモンドにカットされました。
大粒の物はカリナンIからIXまで名前を付けて呼ばれており、イギリス王室が所有しています。カリナンI(530.2ct・ペアシェイプカット)は王笏に、 カリナンII(317.4ct・クッションカット)は王冠にセットされています。
南アフリカで1867年に発見された歴史上最初のダイヤモンド鉱山であるキンバリー鉱山では、馬利用のウィンチやトロリーが使われていました。
カリナン鉱山は極めて美しいブルーダイヤモンドを算出する鉱山で、近年ササビーズやクリスティーズのオークションにもカリナン鉱山産のブルーダイヤモンドが出品されています。
ブルーダイヤモンドはカラーダイヤモンドの中でも最も希少性が高いカラーのひとつで、近年その人気が高まっています。
ブルーダイヤモンドの色起源はホウ素によるもので、ダイヤモンドが結晶化するほどの地中奥深くには、ホウ素がほとんど存在しないため、完成したダイヤモンドの結晶が青くなるのは“神様の気まぐれ”と言われるほどに珍しい偶然で、まさに奇蹟の産物です。
また、ダイヤモンドが結晶化するほどの地中深くになぜホウ素が存在していたのかについては、現在でも判明しておらず、そのため特に色鮮やかなブルーダイヤモンドの価値は上昇する一方とも言われています。
1867年のはじめ、15歳のエラスムス・ジェイコブスはオレンジ川沿いに位置する父親の農場で透明の奇妙な見た目の石を見つけました。
その後の数年で、2000年以上にもわたってダイヤモンドを産出してきたインドを超えるダイヤモンドを南アフリカは産出したのです。ダイヤモンド採掘産業が本格的となったのは、世界のダイヤモンド産出量の95%が南アフリカで 産出された1870年代から1880年代。今日でも南アフリカは世界有数の高品質なダイヤモンド産出国の一つです。
そして南アフリカは「ダイヤモンドのふるさと」といわれるようになりました。
「ダイヤモンド産業は南部アフリカ経済にとって極めて重要です。世界のダイヤモンドの65%はアフリカ諸国で産出され、年間84億ドルの価値を生み出しています。」
(1999年11月17日の演説より)
ネルソン・マンデラ
“The Diamond industry is vital to the Southern African Economy. 65 percent of the world's diamonds, worth $8.4 billion a year produced in African countries.”
Nelson Mandela
ボツワナの中南部に位置する世界最大級のダイヤモンド鉱山。Jwaneng(ジュワネング)とはボツワナの言葉で「小さな石」を意味します。1967年に発見されて以来、世界最高品質のダイヤモンド原石が採掘されることで有名です。
地球の深部で様々な条件が揃って結晶となったダイヤモンド原石。それは、数億年前の火山活動により、周囲の岩石を取り込みながら噴火するマグマに捕獲され、地表に噴出しました。
急激に冷却されたマグマは、ダイヤモンド原石を含んだ「キンバーライト」と呼ばれる岩石になります。そしてマグマの噴出により、地中には「キンバーライト」が円筒状に残りました。
これがダイヤモンドパイプと呼ばれる、ダイヤモンドが採れる場所です。鉱業用語では「ブルーグラウンド」と呼ばれ、「キンバーライト」が酸化されておらず、青く見える土壌のことを言います。
ボツワナ共和国には、優良な鉱山が多く、ひとつの鉱山で南アフリカ共和国の全ての鉱山の産出量を上回るものもあり、いまだ調査中の鉱脈もあります。
ボツワナは国土の17%は国立公園や動物保護区に指定され、20%が野生動物の管理地域に指定されており、まさに自然と野生動物の国。また、ボツワナはダイヤモンドをはじめとする鉱物資源が非常に豊かで、アフリカの中では有数の経済力を持つ国とも言われています。さらに欧米のセレブリティにはラグジュアリーな観光地として有名です。
ボツワナ共和国では、ダイヤモンド産業による収入が政府歳入の5割以上を占めており、その多くは未来を担う子供たちの教育・医療のために有意義に使われています。教育予算はGDPに占める割合が世界第3位(日本は101位)で、高校まで無償、大学や留学にも政府援助で進むことができます。
ボツワナは高品質ダイヤモンドの故郷ですが、長い間ずっと、採掘したダイヤモンドの殆どを”原石”のままで国外に輸出し、現地での雇用創出は主に採掘などに限られていました。サバースは産出したダイヤモンド原石を現地の提携工場で研磨することにより、研磨・加工を始め周辺産業での雇用を拡大し、より多くの現地の人たちの生活水準向上に貢献しています。
ボツワナ共和国初代大統領(在任1966-1980)セレッツェ・カーマは、政治経済に優れた手腕を発揮し、現在のボツワナ繁栄の礎を築きました。
当時、ボツワナはアフリカの最貧困でしたが、独立の翌年、中部のオハラで世界最大級のダイヤモンド鉱山が発見されるという幸運が訪れます。
初代大統領のセレッツェ・カーマは、デ・ビアス社と開発契約を結ぶと、鉱山からの利益を教育、医療、インフラ整備に振り分け、経済成長へとつなげていきました。
汚職に対しても厳しい態度をとり、ボツワナはアフリカの新興独立国の中で最も腐敗が少なく、行政効率の高い国として知られるようになり、以来、安定し調和のとれた国家として繁栄を続けています。
独立当初のボツワナは、他のアフリカ諸国同様、さまざまな部族の集まりでしたが、カーマの指導のもと、自らを出身部族の一員ではなく「ツワナ人」と考える国民が急速に増えました。現在のボツワナの治安の安定は、「民族」アイデンティティから生まれているのです。
Botswana(ボツワナ)はTswana(ツワナ)族の国。
19世紀初頭、現在のボツワナがある場所には8つの族長国がありました。それぞれの族長国に住む人々は共通の言語を使い、歴史を共有し、平和に共存していました。
1870年3人のボツワナの伝説的指導者は、列強国の入植を恐れ、イギリス政府に保護を求め「ベチュアナランド保護領」が誕生しました。
イギリス保護領となってから80年後の1965年に自治を獲得し、非常に平和的に英国保護領から独立しました。独立した当時は世界最貧国の一つでしたが、独立以降にダイアモンドが発見され、現在は世界一のダイアモンド産出(価額)を誇ります。
ダイアモンドの恩恵を開発に繋げる健全な財政運営により、長期にわたる世界最速レベルの経済成長を実現。現在ではアフリカで最も豊かな国の一つとなり、国家予算の30%が教育予算と国の将来を担う子供たちに注がれています。
民主主義に基づく国家経営は長期的な安定を可能とし、アフリカで一、二を争う「良い統治」との評価を確立しました。
「消費者がダイヤモンドを1個お買い上げになるごとに、ボツワナ国民に、より良い生活条件、食料、より良い医療、安全な飲料水、遠隔地を結ぶ道路網の整備、そして更に多くの利点がもたらされます。」
(2006年6月7日の演説より)
フェスタス・モハエ
“For our people, every diamond purchase represents food on the table; better living conditions; better healthcare; potable and safe drinking water; more roads to connect our remote communities; and much more.”
Festus Mogae
レソト王国では1957年にダイヤモンドが発見されました。レソト王国にあるレッツェン鉱山はオレンジ川の源流に位置し、標高約3100メートルの世界一高い所にある鉱山です。近年レッツェン鉱山は60ピースを越える100カラット以上のダイヤモンド原石を産出し、大粒で世界有数の高品質ダイヤモンドを生み出す夢の鉱山と言われています。また、希少なType ll a (タイプ・ツー・エー)※ のダイヤモンドを産出することで有名です。
レッツェン鉱山から誕生したダイヤモンド原石の中でも、特に象徴的なのは910ctのLesotho Legend(世界で3番目に高価)や、603ctのLesotho Promise、550ctのLetseng Star、そして493ctのLetseng Legacyです。
※「Type Ⅱa」とは不純物をほとんど含まないため透明に澄んだ美しいダイヤモンドであり、ダイヤモンド全体の0.5%程度しか存在しない、非常に希少価値の高いダイヤモンドです。
「レソト王国」はサザンアフリカに位置する山々に囲まれた小さな内陸国。国全体が「南アフリカ共和国」に囲まれ、国土が標高1400mを超える高地であり、冬には雪が降り「アフリカのスイス」とも呼ばれる自然豊かで美しい国です。