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Mine to Mine®
〜鉱山から私のもとに届くまで〜

Vol.6 創り手と着る人を繋ぐことで拓く、きものの未来

ものづくりの背景には、作り手の感性や技術とともに、産地へのこだわりやリスペクトの想いがあります。
さまざまな分野で活躍する方々に輝きの秘密をうかがいながら、サザンアフリカのダイヤモンド鉱山で採掘された原石がダイヤモンドジュエリーとなるまでの確かなプロヴェナンス(来歴)とトレーサビリティ(生産履歴)を誇るSA BIRTHとの共通項を探ります。

 

【Vol.6 泉二啓太さん/銀座もとじ 代表取締役社長】

 

海外から見たことで気づいた、きものの格好良さ

日本屈指の繁華街、銀座。この街で二つの店舗を構える「銀座もとじ」は1979年の創業以来、女性の「織り」と「染め」の専門店をはじめ、2002年には日本で初めての「男の着物専門店」をオープン、一本の糸からこだわり、雄だけの純国産蚕品種「プラチナボーイ」の絹糸による“顔の見えるものづくり”の商品開発など、様々な取り組みで話題を集めています。

「でも僕はずっと、呉服屋なんて古くさい、絶対に店を継ぐことはないと思っていたんです」と語るのは、二代目の泉二啓太(もとじ けいた)さん。
「父は僕が小さい頃から365日着物で生活していて、授業参観にも運動会にも着物でやって来る。それが嫌でたまらなかったですね」。
高校卒業後にロンドンの大学に留学し、ファッションの道に進むことを目指していた泉二さんは、そこで改めて、きもの文化の素晴らしさを認識することになりました。
父がミラノに来るというので現地で落ち合うことになったのですが、待ち合わせ場所にきもの姿で現れた父は、格好が良かった。もちろん街の人々の注目を浴びているわけですが、臆することなく堂々としていて……。その時に“きものっていいな、僕もきものを着たいな”と思ったのです。その後、パリに渡ってアルバイトで日本から来た雑誌のファッション撮影のお手伝いをしていた時に、実家が呉服屋だと話すとスタッフの方に“ヨーロッパで西洋のファッションについて学ぶよりも日本に帰ってきものの勉強をしたら”とアドバイスされたことも大きかったですね」。

こうして帰国した泉二さんは2009年、父の経営する銀座もとじに入社、二代目として同世代の染織作家とのコラボレーションなど、現代のライフスタイルにフィットするきものの新しい魅力を発信し続けています。

「きものを着る人が減っている、職人の後継者問題が進んでいる、などと取り沙汰されますが、僕はきもの業界の10年後、20年後は明るいものになるのではないかと思っています。僕は海外に憧れて留学しましたが、今の若い方達はスマホを使いこなして情報を手に入れる能力は国境を超えています。そんな中で、きものに対するハードルが以前よりも低くなっていることも、店頭にいて感じています。確かに安いものではありませんので今すぐ買えないかもしれないけれど、高価なのはそれだけ手仕事による技術が詰まっているから。マナーやお手入れなどを面倒と尻込みするよりも、きもので出かけた写真をSNSにアップしたら“いいね!”がたくさんついた、といった簡単なきっかけで良いので、いつかもっと良いものを着てみたい、という方を増やしていきたいですね」。

産地に新しい風を吹かせ、きものの世界を活性化したい

銀座もとじに入社して以来、全国の産地や工房を回ってきた、泉二さん。

「きものには、日本全国のその土地の風土や文化の中で生まれ、継承されてきた独特の製法やデザインがあります。染め手や織り手が“創る職人”だとしたら、僕たちはお客様に産地の空気や思いを“伝える職人”として、自分の目で見て自分の耳で聞き、自分の手で触れて納得したものをお客様にご紹介するべき、と父からも教えられ、実践してきました」。

中でもお父様の故郷でもある大島紬の産地、奄美大島には頻繁に足を運び、創り手との絆を深めてきました。「大島紬にはおよそ40の工程があり、“2回織られる”と言われるように、まず絣糸を作るための締機と呼ばれる作業を行った後、図面に合わせて糸を染めてから織り上げます。集落によって独自の柄があり、丈夫で、しなやかな風合いも長く楽しむことができます。それぞれの分野で専門特化した職人による分業体制で、世界で一番細かい絣の織り手や泥染めの職人には、素晴らしい技術を持った方々がたくさんいらっしゃいます。ただし、多くの人が関わり、手間をかけて仕上げられるため、現在の流通システムではどうしても高価なものになってしまい、なかなか新しい柄を世に出す機会に恵まれません」。

そんな中でも奄美大島に限らず、日々の生産に追われる産地の人々は、それほど危機感を抱いているわけではないとも泉二さんは語ります。東京からきもの業界や顧客のニーズを俯瞰して見ることができる立場にある泉二さんだからこそ見えること、提案したいことが生まれるのかもしれません。
「僕は今、きもの業界以外の方を奄美大島にお連れして、きもの業界の外から島の魅力や可能性を見つけていただくプロジェクトに取り組んでいます。ゆくゆくは奄美大島に“アーティスト・イン・レジデンス”を作るのが夢。国内外の様々なジャンルのアーティストが奄美大島に滞在し、自由に創作活動をしてもらえる施設です。ギャラリーやレストラン、カフェなども併設できたら観光の活性化にもなりますし、アーティストの方に大島紬の柄の原案となる作品を提供してもらえたら、新しい刺激になるのではないか、と思いは膨らみます」

創り手が輝けば、きものもジュエリーもさらに輝く

時代の変化に伴う新しいきものの楽しみ方を考える時に泉二さんが手に取るのが、日本の服飾文化の変遷に関する本です。

「明治時代から昭和初期までの時代の中で人々が西洋の文化をどう取り入れ、当時のきものはどのように着こなされていたのかを知り、想像するのが楽しくて、時間さえあれば年表を眺めています。例えば明治24年の記録には“男帯どめ”が流行したという記録がありますが、どんな帯どめだったのか気になりますよね。これなどは“元祖・きもの用ジュエリー”だったのかもしれません。昔ながらのルールを守るべきフォーマルな場面を別にすれば、男性だって、きものにリングやブレスレットをつけてどんどん楽しめば良いと思います。ネックレスだって明治時代の書生さんのように、きものの下にニットを着て、襟を少し開き気味に着付けてコーディネートすれば面白いのではないでしょうか」。

泉二さんがきものの産地や生産者に熱い思いを抱くように、SABIRTHでは良質なダイヤモンドの産地であるサザンアフリカにこだわり、鉱山での原石の採掘から研磨、ジュエリーに仕立てられてお客様のもとに届くまでのトレーサビリティを明確にしています。

今回、SABIRTHさんにダイヤモンドのトレーサビリティについてのお話を伺って、ダイヤモンドジュエリーの世界では鉱山や工房で働く人たちがきちんと守られていることが印象に残りました。ファッションの勉強をしていた時にも感じたのですが、職人さんがきちんと評価され、技術に見合った収入もあり、格好いい仕事としてリスペクトされれば、自然と人材も集まるはず。きものの産地で超絶的な技術を持つ職人さんたちも、もっとスポットが当たり、憧れられる存在に変えていきたいですね。また、きものは産地、作り手の思いを感じながら楽しむことができ、二世代、三世代にわたって受け継ぐことのできるサステナブルな衣類です。SDGsの意識が高まる今、こうした新しい視点からも魅力を発信していくことができればと思っています」。

世界最古の砂漠と言われるナミブ砂漠に浮かぶ三日月をデザインした「ナミブ」リングは、程よいボリューム感が男性にも人気。リング/NAMIB〈PG WG ダイヤモンド〉¥1,980,000

「マザーアフリカ」のモチーフは、ダイヤモンドの母なる故郷であるアフリカ大陸。洋服でもきものでも、無地や細かな幾何学柄が主な男性の装いのアクセントにも最適。ネックレス/ マザーアフリカ〈WG ダイヤモンド〉¥434,500(価格は全て税込)

【PROFILE】
泉二啓太/ KEITA MOTOJI
1984年東京生まれ。呉服店「銀座もとじ」二代目。高校卒業後、ロンドンの大学でファッションを学ぶ。その後パリへ渡り2008年に帰国。2009年銀座もとじ入社。店舗での接客をはじめオリジナル商品の開発など、着物文化を若い層や海外にも広げるべく活躍中。2022年9月代表取締役社長に就任。