Vol.19 染色を通して辿る、それぞれの色の物語と産地への旅
ものづくりの背景には、作り手の感性や技術とともに、産地へのこだわりやリスペクトの想いがあります。さまざまな分野で活躍する方々に輝きの秘密をうかがいながら、サザンアフリカのダイヤモンド鉱山で採掘された原石がダイヤモンドジュエリーとなるまでの確かなプロヴェナンス(来歴)とトレーサビリティ(生産履歴)を誇るSABIRTHとの共通項を探ります。
【Vol.19 吉岡更紗さん/染色家「染司よしおか」6代目】
“染めの家”に生まれ、6代目を継いで
京都市伏見区。秋風が吹き抜ける木々に囲まれた昔ながらの長屋を改築した「染司よしおか」の工房で働く、吉岡更紗さん。江戸時代から200年以上続く染屋の家に三女として生まれ、家業である染色は身近な存在でした。
「幼い頃、染め場に入れてもらうことはできませんでしたが、染料のにおいや工房に湯気が立ち上がる光景は、ずっと心に残っています」。
しかし、社会に出て最初に選んだのは、ファッションブランドの販売員でした。
「私は三姉妹の三女なのですが、姉たちもそれぞれの道に進み、私もファッションの世界に興味を持っての選択でした」
百貨店の店頭で服に触れ、接客の仕事をこなす中で、家業の染色への思いは、徐々に芽生えていったといいます。
「就職して3年目くらいの時に、思いを父に伝えました。美術大学に入り直して染色を勉強することも考えましたが、この先、職人としてやっていくためには大学で学問や芸術としての染色を学ぶのではなくもっと実践的な知識を身に付けた方が良いという父のアドバイスで、愛媛県に移住し、西予市野村シルク博物館でで染織講座を受けることになりました」。
養蚕から製糸、撚糸、染色、織りまでの流れを知ることができた野村シルク博物館での経験は現在の仕事にも大いに役立っているそう。
「アパレルで働いてはいましたが、販売の現場しか知らなかった私が、布地のことを作る側から学ぶことができました。現在の仕事では一般のお客様に加えて歴史ある寺社の方や研究機関とおつきあいさせていただくことも多いので、ものの見方を含めて基礎から学ぶことができたのは貴重な経験でしたね」。
そして2008年、実家である「染司よしおか」に戻り、職人としての生活が始まります。
「職人としての修行は本来なら10代のうちに始めた方が良いので遅いスタートだったと思います。学校のように誰かが教えてくれるわけではなく、日々の仕事の中から学んでいく形でしたが、徐々に経験を積み上げて行きました」
父の吉岡幸雄さんは染色家・アートディレクターとしての活躍に加え、古代の染色技術や薬師寺、東大寺などの文化財の復元、「日本の色」の研究や多くの著作でも知られた人物。
「そもそも産業革命の頃に化学染料が発明されるまでは、すべての染物は植物、鉱物、動物由来の天然の素材が使われていました。植物染めは身近にあるあらゆる草や木、花などで行うことができますが、父は化学染料が生まれる以前の時代から使われていた素材にこだわり、それぞれに“この色はこの素材で出すべきだ」という思いを持っていました」
2019年の父・幸雄さんの急逝によって6代目として工房と店舗を担うことになった更紗さんにも、素材と対話し、向き合う姿勢は受け継がれています。
歴史やルーツを知ることで深まる産地への思い
紫根(しこん)、紅花(ベニばな)、茜(あかね)、蘇芳(すおう)、刈安(かりやす)、蓼藍(たであい)、黄檗(きはだ)、梔子(くちなし)……。工房には染色の素材となる、多くの植物の花や葉、茎や根がストックされています。
たとえば、紅花。夏に咲いた黄色い花を一つずつ手で摘み取り乾燥させ、秋に稲藁を燃やして作った灰のアルカリ成分でわずかに含まれる赤い色素を抽出します。染料の入った水槽に白布を入れ十分に色が染まったら、一旦水洗いし、烏梅(うばい)と呼ばれる梅の実の燻製をお湯につけた水溶液で発色をさせ……という作業を繰り返すことで、染め重ねていきます。その作業の工程は、飛鳥・奈良時代からほとんど変わりません。
「色を重ねて濃くすることはできますが、濃くなりすぎた色を薄くすることはできないので、その場合はやり直し。色によっては濡れている布が乾くと淡くなるものもあり、その見極めは経験を積むしかありません。自分の思う色を出すだけでなく、お客様に注文された希望の色に染めることも仕事ですので。」。
「染司よしおか」では布地に加え、毎年3月に奈良の東大寺で執り行われる修二会の行事で使われる椿の造花のための和紙を紅花で染めるのも、重要な仕事です。
「修二会の椿の造花のために使う和紙は60枚。1枚を染めるのに1キロ強の紅花の花が必要です。私たちの工房では伊賀上野の畑で育てていただいた紅花も使用していますが、テニスコート二面くらいの畑では10キロ程度の紅花しか収穫できませんので、あとは中国のものを使わせていただいています。もともと紅花は古代エジプト原産で中国を経て日本に渡ってきたもの。漢方薬にも用いられているので今も中国では上質のものが生育されています。また、同じ赤系の色の原料となる蘇芳などはそもそも熱帯地方の植物で日本では育ちませんから、奈良時代からずっと貴重な海外産の素材を使い続けています。伝統工芸の素材というと国産のものを使うべき、という声を聞くこともありますが、それぞれの歴史やルーツを紐解いて、海外の産地との繋がりを知ることも大切ではないでしょうか」。
ダイヤモンドの白い輝きを生み出す職人へのシンパシー
大学4年生のクリスマス時期には、ファッションの仕事に就く前に販売員の仕事を体験しておきたいとの思いからジュエリーショップでアルバイトの仕事をしたことがあるという吉岡更紗さん。
「選ぶ方も贈られた方も幸せそうな顔をしていらして、とても良い時間を過ごすことができました。今は仕事の現場ではジュエリーをつけることはほとんどないのですが、ダイヤモンドの白い輝きには惹かれます。数ある色の中でも“白”は、いちばん清浄なものとして重んじられてきた色。自然の中で生まれる天然の素材は保護色として若干黄みがかっていたり茶色っぽかったりしますので、それを美しい白にするために先人たちは多くの工夫を重ねてきました。たとえば古代エジプトで高貴な人が纏った白い布は、ナイル川の水と太陽の光にさらして白くしたそうです。白ければ白いほど手間と時間がかかる貴重なもので、だから高貴な立場をあらわすために使われたということですね。ダイヤモンドの原石が、職人さんの手でカットされ、磨かれ、白い輝きを放つようになる工程にも同じようなものを感じ、共感します」。
吉岡さんが染色に用いるさまざまな素材の産地に日々思いを馳せているように、サバースではサザンアフリカの鉱山から採掘されるダイヤモンド原石にこだわり、それが研磨され、ジュエリーに仕立てられ、お客様のもとに届くまでの物語を大切にしています。
「現代では遙か遠い海外からの物流もかなり進化してきましたが、かつては染料の素材もダイヤモンドも、貴重な貿易品だったはず。美しいものを求める人間のエネルギーはすごいなと思います。限りある資源であり多くの人の手を経て運ばれてきたものを使わせていただくのであれば、美しいものに仕上げたい、そんな気持ちになりますね」。
商品の製作に加え、父の幸雄さん同様に復元や研究のプロジェクトも抱え、多忙な日々を過ごす吉岡さん。未来に向けてどんなビジョンを描いているのでしょうか。
「一番の理想は、今の工房をこのままの形で次の世代に受け渡すこと。時代が移り変わる中で柔軟に対応しつつブレずに貫いていくバランスを大切に仕事をしていきたいと思っています」。
指を左右から包み込むようなデザインのリング、センターストーンが灯台のように力強い光を放つペンダント、南アフリカに咲き乱れるジャカランダのをモチーフにしたイヤリング。輝きと煌めきが未来までを照らします。
リング/ GOODHOPE〈Pt×ダイヤモンド〉¥2,343,000
吉岡更紗/SARASA YOSHIOKA
京都市生まれ。大学卒業後、「イッセイミヤケ」にて販売員として働いた後、愛媛県の西予市野村シルク博物館で染織技術を学ぶ。2008年「染司よしおか」で5代目の父・吉岡幸雄のもと染織の仕事に就く。2019年、父の急逝に伴い6代目に。職人として日々の注文に答えながら、工房と店舗の経営も担う。著書に『新装改訂版 染司よしおかに学ぶ はじめての植物染め』(紫紅社)。